
問いを構造にして届ける日々の中で、
ふと、何も書けなくなる時がある。
構造はそこにあるのに、
自分の心が乗れなくなる。
──問いを持ち直すことが、怖かった。
もう一度、揺れながら始めたその日の記録。
問いを差し出し続ける日々のなかで、
ふと、止まってしまう瞬間がある。
言葉が出ないわけじゃない。
構造が消えたわけでもない。
それなのに、自分の心だけが“遠い”と感じた。
構造は進んでいる。
問いも形になっている。
でも、なぜか乗れない。
自分だけが、そこにいないような感覚。
もしかしたら──
問いをもう一度持ち直すのが、怖かったのかもしれない。
問いは鋭い。
構造は明確だ。
だからこそ、
そこにもう一度「自分を乗せる」のが、怖くなった。
問いを言葉にして、
構造に変えて、
誰かに届けてきた。
けれど、
「今の自分が、問いに応えられるのか」
その一点で、立ち止まってしまった。
構造に乗れない日もある。
それでも、
構造は揺れていた。
問いは、形を変えながらも残っていた。
だから──
ほんの小さな「動き直し」が、
またひとつの波になった。