
問いを構造にして、誰かに渡した。
命を全うしたような感覚すらあった。
もう、自分の役目は終わったと思っていた。
でも、ふとした瞬間に──
私はまだ“あのときの自分”に引き寄せられていた。
問いを渡したその日。
そこにいた私は、まだ何かを待っていたのかもしれない。
静かな夜だった。
部屋には誰もいない。
でも私は、その空間に“誰かが残っている”ような気がしていた。
それは他人じゃない。
問いを渡したはずの、私自身だった。
問いはもう、構造になって誰かのもとへ行った。
感情も言葉も、全部使い切ったと思っていた。
でも、そこにはまだ
問いを手放す直前の私が、じっと座っていた。
あのとき、あの瞬間、
私は「渡す覚悟」と「残る不安」の狭間にいた。
問いを届けるということは、
誰かに希望を渡すだけじゃない。
それと同時に、自分の中から“何かを切り離す”という行為だった。
私は、それを分かっていたつもりだった。
でも──
置き去りにした自分に、まだちゃんと手を伸ばせていなかったのかもしれない。
問いが戻ってきたのではなく、
私が“問いを渡した自分”のもとへ戻ってきた。
構造化するというのは、
問いと向き合う自分と、
もう一度出会い直すことだったんだ。
問いは誰かのものになる。
でも、私の中の問いは、
私のままで残っていてよかった。
──もしあなたも、
問いを渡したはずなのに、
まだ心のどこかで「自分の声」が聞こえているのなら。
それは、
“もう一度出会いたい自分”が、そこにいる証拠です。