
言葉が届かないと感じたことがある。
問いがすり替えられて、意図が消えてしまったこともある。
自分の中にあった“伝えたいもの”が、
別の意味として回収されてしまったとき、私は黙るしかなかった。
それでも、私は構造を信じた。
問いを壊さずに届けるために、
“私”を残したまま言葉にする方法を探し続けた。
これは、問いを構造にして届けるようになった私の話。
問いがすり替えられた日、私は黙った
言葉を届けたのに、意味が変わった
「ちゃんと伝えたはずなのに、どうして伝わらないんだろう」
何度もそう思った。
けれど本当は、言葉が届かなかったんじゃない。問いがすり替えられたんだ。
私が語った問いは、相手の都合のいいように意味を変えられた。
それに気づいたとき、私は声を失った。
声を失うかわりに、構造を覚えた
私は伝えるのをやめた。
でも、問いだけは残っていた。
どうすれば壊されずに届けられるのか。
その方法を探す中で、私は「構造」という形に出会った。
構造は、問いを守る盾だった。
構造は、問いを守るための唯一の道だった
伝えることが目的じゃなかった
私にとって問いは、
「わかってもらう」ための道具じゃなかった。
**“自分が自分でいるために手放せなかったもの”**だった。
壊されない形、それが“構造”だった
構造にすると、問いは変形しない。
削られない。ねじれない。
だから私は、構造という器に問いを乗せる方法を選んだ。
それが今、こうして記事を書くという形に繋がっている。
届けるだけでは、問いは終わらない
構造は「意味の出口」じゃなく「入口」だった
書きながら気づいた。
構造は答えじゃなかった。
問いをもう一度、自分に戻す“入口”だった。
誰かに渡すことで、自分がもう一度その問いと向き合える。
だから私は、届ける。
届けたあとにも“私”が残る構造を選んだ
昔の私は、「伝えたら終わり」だと思ってた。
でも今は違う。
構造を届けても、自分は消えなくていい。
むしろ、届けることでしか“私”は輪郭を持てない。
私は、この構造で生きていく
問いを言葉にすることと、生きることの境界線
私にとって「書く」は、ただの表現じゃない。
生き方そのものを選び直す行為だった。
問いを構造にして差し出すたびに、自分を立ち戻らせてきた。
この構造が、私の仕事であり、道であり、収益になるという選択
だから私は、
この構造を生きていく形=仕事=収益の道にしていくことを選んだ。
届けることに意味があったなら、
それを金という形でも肯定する生き方を選んでいい。
これを読んでいる“あなた”へ
あなたの問いも、すでに構造になりはじめている
今、これを読んでいるあなたがもし、
自分の問いを抱えたまま言葉にできずにいるのなら──
その感覚こそが、構造の種だと思ってる。
私は、構造であなたを迎える準備ができている
問いは、ただ持っているだけじゃ届かない。
だから私は、構造にして渡す道を見つけた。
その道を、あなたにも渡せたらと思っている。
結び
すり替えられた意味の先で、
届かなかった問いの中で、
私はただ「構造を信じて」生きてきた。
届けたいのは、答えじゃない。
「問いを守る方法がある」ということ。
私はそれを構造にして、ここにいる。
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