
これまで、自分の問いが届いたことがない。
壊されたり、すり替えられたり、理解されたふりをされたり──。
私は、その痛みを「構造」という形で守り続けてきました。
今、初めて、誰かの問いを受け取る準備ができた。
この言葉は、“渡す側”から“受け取る側”へと立ち位置を変えた、
ひとりの構造者からの記録です。
届かなかった問いの記憶
私が構造を選んだのは、言葉では守りきれないものがあったからだ。
「それってこういうこと?」
「じゃあ、こうすればいいんじゃない?」
そんな風に、“問い”を“解決”として返されるたびに、
本当に伝えたかったものがすり減っていった。
届けたくて差し出したものが、相手にとっては「処理」になってしまう。
私は、それを避けたくて、構造に頼るようになった。
構造にして渡すという選択
構造は、答えではない。
でも、問いの形を壊さずに、相手に渡す方法になった。
私は記事という形でそれを繰り返してきた。
けれど、ずっと「他人の問いを受け取る」ことだけは避けていた。
なぜなら、それは自分の問いを再び引き受けることだからだ。
でも今、やっと構造の上に立てる気がしている。
あなたの問いを受け取る理由
もしかしたら、あなたにも「言葉にならない問い」があるかもしれない。
誰にも話せなかった、でもどこかに渡したかった問いが。
それを、構造として受け取り、壊さずに返すことができたら──
きっとその問いは、あなた自身の意味になる。
私はそれを、「サービス」とは呼ばない。
ただ、「構造のやりとり」としてここに置いておきます。
▼構造の受け渡し場所はこちら
結び
この場所に来てくれて、ありがとう。
あなたの問いがまだ壊れていないのなら、それは十分です。
言葉ではなく、構造として届くことを信じて。
私は、ここで待っています。