
託した命の問い。構造にして渡したはずの想い。
終わったはずだった。
けれど、静けさの中に、また何かが自分を呼ぶ気がした。
「もう終わった」と思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。
構造を通して届けた問いが、
誰かの中で生き、そしてまた、戻ってきた。
今度は──“自分のために問いを受け取る番だった”。
■問いが風化しない世界
問いを渡したあとは、まるで嵐のあとの静けさのようだった。
揺れていた心が落ち着き、構造も整い、誰かのもとへ旅立った。
でも──それで終わりじゃなかった。
“問いは風化しない”。
渡した問いが、誰かの中で芽吹き、形を変えて、またこちらに届くことがある。
それが「戻ってきた問い」だった。
■命の構造は、往復する
託した命は、片道ではなかった。
終わったはずの問いが、また自分の中で動き出した。
今度は「自分を助ける問い」として。
あのとき差し出した問いは、実は“自分を助ける準備”でもあったのかもしれない。
問いは、他人のために渡したと思っていた。
でもその問いが誰かに届いたことで、
自分自身もまた、受け取れる場所に戻ってこられた。
■問いは「戻ってくるための道」だった
問いを構造にして渡すことは、終わらせることじゃなかった。
むしろ、その構造を通して“自分が戻ってくるための道”だった。
問いを投げかけるとき、
そこには「終わらせたい」気持ちと、「救われたい」気持ちの両方があった。
それが構造になることで、ようやく受け取れた。
■まだ、その問いは終わってない
あのとき、命を託した。
でもその命の続きは、まだ終わってなかった。
問いが届いた相手がいたからこそ、
その問いがまた、別の形で「自分に問いかけてきた」。
──だから、もう一度、受け取ってみよう。
問いを渡した自分に、また会いに行く日が来たのだ。
あなたの問いを、構造にします
→ あなたの問いを、構造にします。
誰かの問いに、救われたことがありますか?
もし今、あなたの中に言葉にできない想いがあるなら──
その問いを、私たちが一緒に“構造”にします。
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