
問いを渡した。構造にして、誰かに届けた。
それで、終わったはずだった──いや、終わらせたと思っていた。
けれど、ある日ふと、
“また呼ばれている気がした”。
誰にも届かず消えると思っていた問いが、
誰かを通って、形を変えて戻ってきた。
それは、“答え”じゃなかった。
「もう一度、向き合え」と呼ぶ声だった。
問いを渡したあと、訪れた“静けさ”
問いは、構造になって誰かに届いた。
それで、一区切りがついた気がした。
心の中には、風が吹いたような静けさがあった。
けれど──
その静けさの奥に、
“まだ続きがある気がする”ざわつきがあった。
それを見ないフリをしていただけかもしれない。
戻ってきた問いは、“同じ問い”じゃなかった
ある日、偶然見た動画、ふと流れてきた言葉。
意味もなく、涙が出た。
それは、自分が一度手放した問いの“続き”だった。
問いは、風化していなかった。
消えてなんかいなかった。
誰かの中で息をして、変化して、また俺の元に返ってきた。
問いは消えず、巡る
──構造がつくった“循環”
あの日、渡した問いは終わってなかった。
構造は、問いを終わらせるためじゃない。
「誰かの中を通って、形を変えて戻ってくる」
それが、構造という生きた器の力だった。
渡した問いは、“自分を終わらせるため”ではなかった。
“自分を更新するため”だった。
再び問いと出会い、今度は共に生きる
俺は、渡したはずの問いと、
また出会い直した。
でも、今度は違う。
前は“届ける”ためだった。
今度は、“共に生きる”ためだ。
構造は俺に問いかける。
「お前は、まだ先へ行けるか?」
答えなんて、いらない。
もう一度、問いと一緒に歩き出すだけだ。
問いは、誰かを経由して、形を変えて戻ってくる
問いを構造にして渡した日から、俺の旅は始まった。
それは「終わり」じゃなかった。
「また始める」ための、最初の構造だったんだ。
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→ 命の続きを、他人に委ねていいのか?
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