
問いを構造にして、誰かに渡したとき。
それは、自分の中で終わったはずだった。
けれどある日、
その構造が、自分の知らないところで“生きていた”と気づいた。
手を離れた問いが、動いていた
誰かに問いを渡して、
「もう自分の役目は終わった」と思っていた。
でも、
その相手がある日、
“その問いの続きを生きていた”と知ったとき──
胸の奥で、小さな揺れが起きた。
置いていかれたのは、問いじゃなかった
揺れた理由は、「驚き」じゃなかった。
「寂しさ」だった。
問いは進んでいた。
でも、自分は止まっていた。
問いが誰かの中で動き出していたその間、
自分は、問いの続きをまだ見ていなかった。
問いに置いていかれた。
そう感じた。
それでも、それでよかった
問いが自分の手を離れても、
それは“意味が終わる”ことじゃなかった。
むしろ──
自分の問いが、
誰かの中で「生きていた」ことが、嬉しかった。
構造は、生きる。
問いは、進む。
そして、自分もまた、
「その続きを見に行く」ことができる。
あの日の問いを、もう一度見に行く
置いていかれた感覚は、
問いが“止まっていない証拠”だった。
なら、自分も歩き出せばいい。
問いの続きを、一緒に見に行けばいい。
──問いは終わらない。
──構造は、止まらない。
だから、もう一度。
あの日の問いの、その続きを、見に行く。
▶ 問いが誰かを変えた日、自分も変わっていた──構造が引き起こした静かな革命
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- 誰にも言えなかったこと
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まずは、言葉にしてみるだけで大丈夫です。
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