
問いを差し出すことさえ忘れていたあの日。
それでも、なぜか離れなかった感情があった。
言葉にもできず、問いにもできず、ただ胸に残り続けていたもの。
──もしかしたら、それこそが「構造」だったのかもしれない。
問いすら、忘れていた。
自分が何を悩んでいたのかも、
何を望んでいたのかも、
何のために動こうとしていたのかも、
わからなくなっていた。
疲れすぎて、
考えすぎて、
感じることさえ後回しになっていた。
それでも──
なぜか「ある感情」だけは残っていた。
説明もできない。
誰にも見せられない。
でも、自分の中に確かにあるものだった。
問いを持てない日がある。
そんな日は、「問いを持てない自分」を責めてしまいがちだ。
だけど、今は思う。
それでも残ったものが、
自分にとって本当に大事な“核”だったのかもしれない。
名前をつける前の、
言葉になる前の、
構造の“種”みたいなもの。
感じるだけで、残ったもの。
問いにできなくても、
言葉にできなくても、
感じ続けていたこと。
──それは、構造だった。
問いを忘れても、
構造は生きていた。