届いたと思った。

言葉になったと思った。
それで、すべてが変わる気がした──
……はずだった。
でも現実は、何も変わってなかった。
ただ、「わかった気がした」という感覚だけが残って、
問いはまた、沈んでいった。
“届いた気がした”だけの感覚
あのとき確かに、
「わかった」と思った。
「伝わった」と思った。
「もう、終わってもいい」とさえ思った。
でも──
それはただの、“気がした”だけだった。
気づいたときには、もう問いはまた沈んでいた
わかってた。
本当は、何も終わってなかったことくらい。
でも、あの“わかった気がした”という感覚が、
あまりにも心地よすぎて──
それ以上、触れたくなかった。
「わかった気がした」感覚が、一番問いを殺す
問いが消えるのは、絶望の中じゃない。
中途半端な“納得”と“理解”の中で、
じわじわと死んでいく。
届いたと思ったときこそ、
問いは一番、置き去りにされやすい。
でも問いは、終わってなかった
気づいたら、またここにいた。
「問いを構造にする」と言った自分が、
また構造の入口に立っていた。
「わかった気がした」だけじゃなく、
“わかったことになっていた”ことが怖かった。
わかってなくて、よかった
問いは、まだ終わっていなかった。
そのことが、
なぜか少しだけ、うれしかった。
🎧 音声構造波
※この構造波は、音声でも聴けます。
▶ 「“わかった気がした”の正体と、その先」
関連記事
「問いを渡したあとに感じた“空白”について書かれた構造波」
👉 SC-019|終わったと思ったのに、まだ呼ばれていた──問いが戻ってきた日