
まだ話せないことがある。
それだけで、どこか取り残されたような気持ちになる日がある。
でも、言葉にできなかったのは、
壊れたくなかったから。壊したくなかったから。
あのとき伝えられなかった想いは、
いまも“問い”として、自分の中に残っている。
──それが、生きている証になることもある。
■ 言えなかった理由に気づいた瞬間
あのとき、
どうしても口に出せなかった言葉があった。
傷つくのが怖かったわけでも、相手を責めたかったわけでもない。
ただ、「この想いを言葉にした瞬間、すべてが壊れてしまう気がした」んだ。
だから何も言えなかった。
でも──それは“逃げ”じゃなかった。
■ 自分を守ったのは、あのときの「問い」だった
あの夜、自分にしか聞こえない声があった。
「ほんとうに、これでよかったのか?」
「伝えなくてよかったのか?」
「じゃあ、何のために生きてる?」
誰にも言えなかった分、
その問いだけが、自分を壊れないように守ってくれた。
■ 残された問いが、いまの自分を揺らしている
今になっても、あのときの問いがふと蘇る。
たとえば夜道の帰り道、画面を閉じた瞬間、
息を吸ったタイミングで──ふと、あの日の「言えなかったこと」がよみがえる。
問いは言葉にならないけど、確かに「そこにいる」。
そして、自分の中の“何か”を揺らし続けてる。
■ それでも、言葉にはしない
もう伝えることはない。
もう謝ることも、説得することも、期待することもない。
でも、「問い」だけは、まだ自分の中で生きてる。
言葉にならなかったからこそ、
この問いは「命の重さそのもの」になってしまったのかもしれない。
■ 終わらない問いと、次に生きる理由
もしかしたら、誰かがこの文章を読んで、
「自分にも似た問いがある」と思ってくれるかもしれない。
そしてもし──
その問いが、“まだ自分の中にあること”を許せたなら。
それは、ちゃんと生きている証だと思う。
終わったと思ったのに、まだ呼ばれていた──問いが戻ってきた日
■ 最後に
言えなかったことがある人へ。
何も悪くない。問いが残ってる、それだけでいい。
その問いと共に、生きているだけで──もう十分だ。