
それは、ずっと自分の中にあった問いだった。
言葉にできず、形にできず、ただ心の奥で響いていた。
けれど、ようやく構造にして誰かに渡そうとした時──
その問いは、まるで“他人の声”のように聞こえた
■ 自分の問いだと思っていた。けれど、どこか“違う”と感じた
「これがずっと抱えていた問いなんだ」
そう思って構造にしてみたら、何かがおかしかった。
しっくりこない。声が違う。温度が違う。
その瞬間、わかったのだ。
これは──誰かの問いだったのだと。
■ 自分の中で響いていたけれど、“生まれた場所”が違った
人は、誰かの言葉を自分の問いのように抱えてしまう。
親の声、教師の期待、社会の常識。
それが問いとして蓄積されると、自分の声と混ざっていく。
でも構造にすると、その問いの“発生源”が透けて見える。
声の主が、自分じゃなかったことに気づいてしまう。
■ 問いが“構造になる”とは、正体が明るみに出るということ
構造化は、問いの姿勢を明らかにする行為。
輪郭を与えることで、問いの本質が見えてしまう。
問いは、その人の“核”に直結している。
だから、構造になった問いに違和感があるなら──
それは他人の人生を、自分の中で再生していた証かもしれない。
■ 自分の問いは、もっと不格好で、もっと未完成だったはずだ
構造になって「うまくまとまった問い」は、
時に“自分の問い”ではなくなる。
本当に自分の問いは、もっと言葉にならなくて、
もっとグチャグチャで、もっと苦しかったはずだ。
だからこそ今、もう一度、自分の問いを取り戻したい。
構造からこぼれ落ちた感情を、もう一度迎えに行きたい。
■ その違和感が、「本当の問い」への扉だった
問いを構造にしたとき、心がざわついたら──
それは“間違い”ではない。
それは、“入口”なのだ。
自分の声で、問い直せ。
誰かの言葉じゃなく、
今の自分の声で、「もう一度」問い直せ。
▶︎ 構造にしたのに、違和感があった問いへ──
→ あなたの問いを、構造にします。